【大阪府・大阪市】飛田

遊廓時代から続く現役色街。

大火で焼失した難波新地が移転する形で大正7年に開業した新興遊廓で、戦前は松島とともに二大遊廓としての規模を誇った。

『全国遊郭案内』(昭和5年)によれば、「貸座敷は二百廿軒あつて、娼妓は二千七百人居る」。

大阪空襲の際も大部分が焼失を免れ、戦前の趣を残したまま赤線に移行する。

『よるの女性街・全国案内版』(同30年)によれば、「百八十七軒、一六二八名という大所帯」。

赤線廃止後も”料亭街”として現役遊里の命脈を保ち続けている。

周辺も青線の密集地だったことから、新世界から飛田に向かう途中にもその名残りを残している。

※現役遊里なので、営業時間中の散策は避けること(特に写真撮影は厳禁)。

※写真は営業時間外の早朝に撮ったものだが、釜ヶ崎エリアも含まれているので散策の際は要注意。




飛田へ向かいアーケード商店街から外れた場所にも綺麗なタイル貼り建築が見られる

遊廓エリアから外れているが、青線的な遺構だったかも知れない(上2枚)


界隈は釜ヶ崎と呼ばれるドヤ街でアパートや旅館に転業されているのが多い


商店街から外れた路地

大衆演劇場「オーエス劇場」がある




新世界から伸びる飛田本通を中心にアーケードが枝分かれしている


 


アーケード街はどこも薄暗く、新陳代謝が激しくないため昭和の雰囲気を残している




商店街にも転業旅館が残されている


飛田附近の銭湯「日之出温泉」

早朝から営業していた


松乃木大明神近くのタイル貼り民家


松乃木大明神(明治34年建立)

三味線の原料となった猫供養のために建立、芸事の神様として信仰を受ける


境内に立つ「猫塚」


近松門左衛門を祀る「平安堂近松巣林子信盛碑」

”平安堂””巣林子”は近松のペンネーム



アーケード商店街から”料亭街”を臨む


飛田大門

両脇に大門の石柱が残されている


2階が綺麗なタイル貼りの転業アパート

飛田新地を阪神高速の高架が横切っている


大部分が戦災を免れているため、戦前の妓楼建築が和洋折衷で残されている(上1枚、下2枚)





登録有形文化財指定の旧妓楼「鯛よし百番」

当時は「一番」から上がるごとに妓楼の格式が上がり、「百番」は最上位クラスとされている


「鯛よし百番」


上方芸能発祥の地「てんのじ村」記念碑


てんのじ村近くに建つ古い旅館

”色街”の痕跡はここまで広がっていたようだ


南海今宮駅に向かう途中にもモダンな洋風建築が残っている


南海今宮駅付近の転業旅館


(訪問 2016年7月)

★Kentaの写真倉庫★

東京近郊を中心に散策しながら、デジカメで下手糞な(笑)街並みや建物の写真を撮っています。 ごくまれに遠方に旅することもあります。 人様に見せるというより、忘備録的に写真を集めたアルバムといった感じです。

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