【東京都・台東区】吉原
云わずと知れた東京最大の現役色街。
現在の人形町にあった吉原遊郭が明暦の大火を機に現在地に移転、それ以来、戦前から戦後にかけて幾度の大火、震災、戦災に遭いながらも色街として現在まで至る。
特殊浴場の店舗がひしめく街から外れた路地に、戦後の赤線建築が点在しているが、時代とともにその数も減らしている。
『よるの女性街・全国案内版』によれば、昭和30年当時「二七〇軒、約一二〇〇人の女が屯している」という規模だった。
日本堤 地名は山谷堀沿いの堤防から(「吉原土手」とも呼ばれた)
「中江」(左・大正13年築)、「いせや」(右・昭和2年築)ともに国登録有形文化財。
見返り柳
旧「モリヤ」
旧「セントラル」
旧「マスミ」、屋号がそのまま残された一軒
旧「親切」(現存セズ)
旧「正直」、最近までビヤホール店として営業していた
転業旅館「坂井旅館」(現存セズ)
送迎車の車庫として使われているカフェー建築、隣の空き地にもかつて同様の建物があったのだろう
特殊浴場が密集する目抜き通りにも当時の遺構が残っていた。
吉原四丁目交差点 仲ノ町通り
お歯黒どぶがあった名残りからか、通りの入口に高低差が見られる 江戸町通り
吉原神社
吉原弁財天
(訪問 2015年10月)
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