【東京都・江東区】洲崎弁天町
現在の東陽一丁目にあたる。
かつては根津遊廓の移転に伴い、海を埋め立てて造成した遊郭のための方形の島だった。
移転当時は数十軒だったのが、昭和5年当時は268軒を数え、娼妓も約2500人程、引手茶屋も19軒、芸妓約80名程の規模だった(『全国遊郭案内』より)。
戦後、「洲崎パラダイス」と呼ばれるカフェー街として、101軒560名ほど(『全国女性街ガイド』より)。
現在は当時の名残りがほとんど残っていない。
かつて洲崎川が流れ「洲崎橋」が架けられ、この辺りに「洲崎パラダイス」のアーチがあった。
「サンエス」の屋号だった旧カフェーの遺構(現存せず)
(訪問 2011年11月)
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